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『ハプスブルク大公に仕えた帝国陸軍國體参謀 落合・吉薗秘史9』

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落合・吉薗秘史刊行会 2019【発送料込】

京都皇統についていえば、孝明天皇の姫で文久元(一八六一)年に偽装薨去して堀川御所に入った寿万宮から明治二十(一八八七)年に生まれたのが松下豊子(トヨノ)である。御実父についてまだ確証ないが、紀州海部郡加太浦で豊子の養育係となった某家の当主は有栖川宮と信じていたという。
 豊子と堀川辰吉郎との間に明治三十八(一九〇五)年に生まれた光宮を、大正天皇の第三皇子として高松宮宣仁親王としたのは「堀川政略」の根本をなす秘策である。豊子の十歳上の陸軍大佐荒木貞夫が、その後、保護を命じられた豊子と「公認の関係」となったのも、「堀川政略」の一環であった。
 つまり、荒木は京都皇統の娘婿になったのである。 荒木貞夫が継いだ陸軍上原派は、のちに陸軍行動派と呼ばれるが、その本質をなすものはハプスブルク系フリーメイスンである。

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