『神聖ローマ帝国の世襲皇帝になった南朝王子 落合・吉薗秘史10』
落合・吉薗秘史刊行会 2020【発送料込】
京都皇統の國體秘史伝授では、治仁王が渡欧した目的の一つは、一三七八年に起ったシスマ(教会大分裂)を収拾するため、という。それしか伝えられないのは、「あとは自分で洞察せよ!」との意味である。この伝授を基に考究し「日本皇統とケルト王統を二本柱としてきたワンワールド國體が、新たな主柱としてハプスブルク大公家を創った」と考えたわたしは、その計画を「アルザス経略」と呼んだ。
これより前に聞いていたのは、大塔宮護良親王の王孫が欧州入りし、ネーデルラントの在地貴族に背乗りしてベネルクス王家を建てたことである。
これを「大塔政略」と呼んできたが、このたび明らかになったのは、それより前に護良親王の王子、すなわち崇光天皇の同母弟(南朝王子X)が一三五〇年ころに渡欧して、ハプスブルク家に入ったことである。
近来の國體秘史伝授により、「大塔政略」は、これまでわたしが推量していたより、はるかにスケールが大きいと分った。